架空の「誕生パーティ」

包丁妻でございます。

05年の1月に元オウム信者のH氏と電撃再婚し、「愛があれば偏見なんて!」とイバラの道を歩む決心をしたのも束の間、わずか2ヶ月で新婚生活は破綻したのでございます。

理由は、元ダンナHの虚言癖&収入ゼロ。別離までの1ヶ月は、蹴るわ殴るわ包丁振り回すわで血みどろの愛憎劇を繰り広げ、現在では「バツ2、子持ち、うつ病」と三重苦を抱えてしまいました...。

この連載では、私が人生色々ありつつも図太くしぶとく雑草のごとく生きてゆく様を皆様にお届けいたします。


嗚呼、このバカ女の恥ずかしすぎる生き様を、どうぞ笑って読んでやって下さいませ(>_<)


※ ※ ※ ※ ※


「ねぇ、11月6日、空いてる?  その日、オレの誕生日なんだけどサ、マスコミ各社一人ずつ強制参加させて、オレの誕生日パーティをやるんだ。森ちゃん(森達也監督)も来るからサ、佳南も来いよ」


2004年の10月末、まだ知り合い程度だった元オウム信者のHと新宿の「のびたん」で食事していたときに、私は彼の誕生日パーティに誘われた。

マスコミ各社から一人ずつ、誕生パーティに参加「させる」だなんて、スゴいッ!!

それに、映画「A」や「A2」で有名なアノ森達也監督を「森ちゃん」と気安く呼ぶなんて...。

ってもしかして、大物!?


私は、目の前の不思議な元オウム信者の言葉に、すっかり酔いしれていた。


当時私は駆け出しのライターで、片足を突っ込みかけた「マスコミ世界」の魅惑的な華やかさは、私にとって強烈な魅力だった。

テレビや本でしか知らない文化人たちと酒を酌み交わし、「ギョーカイ用語」を駆使して、ちょっぴり「マスコミ人」を気取る...。

どうしても「一般人(パンピー)」から抜け出したくて、21歳で息子を出産したわずか4ヶ月後に早稲田大学を再受験したのは、もう9年前だ。


早稲田に入学した後は、手当たり次第に文芸関係の公募に応募した。

大学卒業後は、風俗店で働きながら宣伝会議の編集・ライター養成講座に通った。

2003年、運良くサン出版発行の情報誌「らぶもーる」(現在は休刊)の「”日記風”文学新人賞」の特別奨励賞に入選し、それがきっかけとなり27歳でライターデビュー。


少し遅咲きの、小さな”成功”だった。

私は、このチャンスを 絶対に逃したくなかった。


ライター講座で知り合った同期のイクコさんに、編集者の今一生さんを紹介されたのはちょうどこの頃だ。

今さんが手がけられた『酒鬼薔薇聖斗への手紙』という本の記念すべき出版パーティの席に、今さんの粋なはからいで駆け出しの私も招待された。

そこで、Hと出会った。

痩せぎすの、眼光の鋭い男だった。


最初に私にHを紹介したのは、当時Hの彼女だった、やはりライターのSさんだった。


「この人、元オウム信者よ」


屈託なく「元オウム信者」と告げたSさんの気軽なリアクションに、私は少なからずひるんだ。


「彼女、小柄で髪も長くて可愛らしいのに、なんで”元オウム信者”なんかと平気で付き合えるんだろう、怖くないんだろうか?」


と訝しく思ったのを覚えている。


だがやはり、普通に暮らしていたら会えないはずの「人種」と知り合うことは、私の好奇心を強く刺激した。


「元オウム信者」の知り合いに、私はなりたかった。


同じ席で私は、05年に亡くなられた作家の見沢知廉さんにもお会いしている。


見沢さんとは、隣り合わせの席でお話をさせて頂くことが出来、『天皇ごっこ』の創作秘話(だったと思う)について語って頂いたのだが、肝心の内容のほうはすっかり舞い上がってしまい覚えていない。

その日、私はピンクのミニスカートを履いていたのだけれど、見沢さんがちっとも私の露出的な体に興味を示すそぶりが見られなかったので内心ガッカリしており(当たり前か)、そちらのほうにばかり気を取られていたのだった。


Hはといえば、私に「女としての興味」を抱いているのがありありと見て取れたので、Sさんには申し訳ないが内心「してやったり」と思った。


元オウム信者に、興味を持たれている私。という図式に、私の虚栄心は満たされた。

今も昔も、美しくドレスアップするのは、魅力的な男たちの関心を惹くため。

純粋に、自分だけのためにオシャレをした経験が、私にはない。

きっと、これからもないだろう。

私は決して男好きじゃない。

「男に魅力的だと思われている自分」が、死ぬほど好きなだけだ。


11月6日、もう秋だというのにやはり男好きのする薄着ファッションを身にまとった私は、早稲田の文キャン(文学部)に駆けつけた。

その日は、森監督のトークショー&ミニシアターの上映会があり、それらが終わった後でHの誕生パーティがあるのだと、彼は説明した。

イベント終了後、文キャンにほど近い打ち上げ会場の小さなカフェは、マスコミ関係者や学生たちで満杯だった。


あれ、何か変...。


熱気あふれる地下の空間に、私は言いようのない違和感を感じた。

これから、誕生日パーティが行われるというのに、誰一人花束を持っていないのだ。

普通なら、誕生日パーティといえば、花束が用意されて当然なのに。


あれれ...。


一人、また一人と、マスコミ関係者が帰ってゆく。

ね、ねぇ、これからHの誕生日パーティがあるんでしょ?  皆さん、帰っちゃって本当にいいの?

ついに数人を残し、大半のマスコミ関係者が引きあげてしまった。


あれあれっ!?


Hの誕生日パーティは、どうなっちゃったの!?

思わず、Hのほうを見る私。Hは、


コロシ(事件)があったみたいでサ。あいつら、帰っちゃったヨ。今度会ったらクビ締めとかなきゃなァ」


と笑っていた。


この瞬間、私は直感した。


Hの”誕生日パーティ”など、はなっから嘘だったのだと。

マスコミの人たちは、森達也監督のイベントだからこそ、忙しい時間をやりくりして早稲田に集結したのだった。


だがしかし。

カフェでの打ち上げの後の二次会の席で、Hが監督を「森ちゃん!」と実際に呼びつけている様子を見ると、森さんとHが親しい間柄にあるのは、どうやら事実のようだ。

Hは私を、森さんや白夜書房のK編集者に紹介してくれた。


「あ。今の私、もしかして結構カッコ良かったり、する?」


著名な映画監督、そして有名出版社の敏腕編集者と談笑する、私。


く〜〜〜〜っ。カァッコいい〜!!

胸が踊った。


「Hさん、少し大げさにものを言う癖はあるけど、そういう人ってたまにいるよね。森監督と仲が良いのは嘘じゃないみたいだし、マスコミにも人脈あるみたいだし、まぁいいや…


後に次々と発覚することになるHの嘘、いや虚言癖を、当時の私はヒッジョーに脳天気に解釈していた。

<<BACK>>