夢じゃ、ないんだ…。
私は母子寮の一室で、昨夜Hにプロポーズされたことを、ぼんやりと考えていた。
私を一番に愛してくれる「彼氏」がいるって、なんて幸せなんだろう。
バツイチ、子持ち、うつ病で、元風俗嬢だった私を、一生かけて守ってくれる男の人がいるなんて…。
結婚願望なんてゼロだったはずなのに、私の頭の中は「結婚」の二文字でいっぱいになった。
コンビニで、「幸せな結婚」というマンガを見つけた。
「一冊ぜ〜んぶハッピーエンド」というキャッチコピーにつられて、迷わず買い物カゴに入れた。
ハッピーエンド!!
きゃは☆
それって、私のことじゃな〜い。
元オウム信者とはいえ、「ジャーナリスト」と結婚するんだモン、私ってもしかして、勝ち犬?
クフフ。私は女友達に片っ端から電話をかけて、「再婚することになったの〜」とノロケまくった。
Hからは、一日5回くらい電話がかかってきた。
「もうすぐお袋に、佳南のこと紹介するよ。そうだ、下(しも)ちゃんにオレが結婚するって言ったら、披露宴の司会やってくれるってさ」
「下ちゃんって、だあれ?」
「下村健一だよ。みのさん(注・みのもんたさん)の『サタデーずばっと』に出てるの、見たことない?」
「ええ〜!! あの、キャスターの下村さん!?」
「アイツ、オレの親友だよ。今度、佳南に会わせてやるよ、クククク」
独特の笑い方で、Hが得意気に語った。
Hと話していると、TV関係者や出版関係者の名前が、頻繁に登場する。
本当に、人脈が広いらしい。
彼の側にいたら、絶対一生退屈しなさそう。
Hはまた、こうも言っていた。
「麻原逮捕からこれまでの10年間を、絶対無駄にしたくない」
「オウムにいたからこそ、人に優しくなれた」
私は、熱っぽく語るHの言葉を、いつもうっとりと聞いていた。
そして、この人の力になりたい、私もメディアの世界に関わりたいと、心底思った。
2004年12月中旬、私は初めて下村健一さんにお会いした。
場所は下村さんが指定された、渋谷のレストラン。
そこに、フジTVのG記者も合流して、4人で食事をした。
「いやー、まさかHちゃんが結婚するとは、夢にも思わなかったよ」
下村さんもG記者も口を揃えてそう言うので、私は何だか可笑しかった。
下村さんは披露宴の司会を快諾してくださり、G記者も事件が起こらないかぎり、披露宴には必ず行くと約束してくださった。
「こんなに嬉しそうなHちゃん、初めて見たよ」
G記者がひやかすと、Hは真っ赤になった。
その照れた顔を見て私は、「ああ、本当に彼に愛されてるんだな」と実感して、涙がこぼれそうになった。
これからTBSでラジオの収録だという下村さんを見送り、私とHはG記者に、渋谷の陸橋の上で2ショット写真を撮ってもらうことになった。
Hがローンで買ってくれたダイヤの指輪がちゃんと写真に収まるように、私はHの右腕に自分の左腕を絡ませて微笑んだ。
05年1月10日、ついに披露宴の日がやって来た。
会場は新宿ライオン会館6階のビヤキャビン。
披露宴の案内状を、FAXで関係者に送りまくった成果か、60人もの人達が忙しいなか、私たちを祝福するために集まってくれた。
「おい、みのさんが来たらどうする? 会場が大パニックになっちゃうよ、クククク」
「それはないよ」
「う〜ん、多分パニックになるから、遠慮して来ないだろうなァ」
…あのみのもんたさんが、私たちの披露宴なんかに来るわけないじゃん…。
H独特の大げさな言い回しに、私は少し苛立った。
会場には数多くの風船が飾られ、風船には私の短歌がマジックで書かれていた。
「覚悟なき恋ならするな闇に張る薄氷あらば火もて踏むべし」
という、激しい恋の歌もあったけれど、実はコレ、Hを想って作った歌じゃない。
なのに、Hのお姉さんがこの歌を絶賛してくださったので、なんだか申し訳ない気がした。
面白かったのは、下村さんの生徒さんたちが急遽作ってくれた、私たちの「なれそめビデオ」の上映。
ビデオに合わせて、司会の下村さんがHの独特のしゃべり方を真似て実況中継するものだから、みんなは大爆笑!!!
続いて、祝電の披露へ。
もちろん、みのもんたさんからの祝電はナシ!(笑)
かわりに、『サタデーずばっと』のディレクターの方々から、
「下村さんのお世話は我々に任せて、Hさんは佳南さんに甘えてください」
という、なんとも意味深な祝電が届いていた。
これって、「Hはウチの番組には要らないよ」って、遠回しに言われてる…?
また、誰かがスピーチで、こんなことも言っていた。
「Hちゃんにお金を貸して、まだ返してもらってない人ー!」
「はーい!!」
なんと、会場の約半分の人間が手を挙げたのだ。
それを見てHはヘラヘラ笑っていたけれど、私は次第に、醒めた気分になっていった。
この結婚、ほんとに大丈夫…?
披露宴は、まさに疲労宴だった。